ネワール様式について

ネワール様式とは

文殊菩薩
文殊菩薩
仏教絵画におけるネワール様式とはカトマンドゥ盆地の文化を築き上げた先住民族であるネワール族の伝統的な絵画技法によって描かれた作品のことを指します。またそうしたネワール様式で描かれた宗教絵画のことをネワ-ル語でポーバと呼びます。
インド仏教絵画の伝統を受け継ぎ、どことなくエキゾチックな趣のあるネワール様式の作品は15世紀半ばまでチベット仏教絵画にも大きな影響を与えました。そしてその後、中国絵画の影響を受け、しだいに東アジア化したチベット様式に対し、ネワール様式は失われてしまったインド仏画の趣を現代に伝える唯一の文化遺産となりました。
現存する最古のインド細密仏教画はパーラ朝時代(7世紀-12世紀)に仏教経典の挿絵として製作されたもので、その当時、現在の北インドのビハール州と東部ベンガル州を中心とした地域で密教系の尊格を描いたパーラ朝様式の仏教美術が華開いていたことがうかがえます。しかし、12世紀から13世紀にかけてイスラム教の東インドへの激しい侵略に伴い、すべての寺院は破壊され、13世紀末頃にはインドから仏教が事実上消滅してしまいます。その間にネパールに伝播したパーラ朝時代の絵画様式がカトマンドゥのネワール様式の基礎となって現在に至るまでネワール族の職人たちによって脈々と受け継がれていくことになるのです。

古典ネワール様式と現代ネワール様式

古典ネワール様式と現代ネワール様式 ネワール様式にも古典ネワール様式と現代ネワール様式の2種類があります。古典ネワール様式の特徴は角ばった下唇、長細い目尻の上がった目、細くしなやかな体躯が細いが力強い線で描かれ、背景に自然の風景は用いられずパターン化された渦巻き模様で埋め尽くされます。また色使いもチベット様式とは異なり、赤、緑、黄、青などの原色を多用し、濃厚かつ重厚な色彩を誇ります。
現代ネワール様式は古典ネワール様式の上により自由で写実的な表現を取り入れたものです。中でも現代ポーバの生みの親として知られるのが、アナンダ・ムニ・シャキャ(生没不明)、シィッディ・ムニ・シャキャ(1933年-2001年)親子です。アナンダ・ムニ・シャキャは先代のダライ・ラマ13世にもその才能を認められ、ポーバに立体表現や写実的な風景描写など西洋的表現を初めて用い、ネワール・ポーバ界に鮮烈なルネッサンスを巻き起こした人物です。その息子であるシィッディ・ムニ・シャキャも卓越した画才を誇り、現代ネワール様式の基礎を打ち立てた人物です。また人間国宝としてネパールの紳士録に載った唯一の芸術家でもあり、現在でも多くのポーバアーティストたちの尊敬を集めています。卓越した技巧とセンスでポーバを現代アートにまで高めたウダイ・チャラン・シュレスタ(1964年-)、デニシュ・チャラン・シュレスタ(1965年-)兄弟の初期の作品においてシィッディ・ムニの色濃い影響を認めることが出来ます。また第10代ビレンドラ国王に愛され、ルンビニにあるチベット寺院の壮大な壁画を手がけたプレンマン・チトラカール(不明-)はポーバの他にも彫像も手がけるマルチプルな才能を持つアーティストです。他にも欧米において人気の高いディーパック・クマール・ジョシ(1963年-)や、伝統的製法で作られる岩絵の具による製作にこだわり続けるロク・チトラカール(1961年-)など現代ネワール画壇は多くの優れたアーティストの活躍によって今まさに円熟期を迎えています。

チベット様式について

ネワール様式から派生したチベット様式


緑のターラー
仏教絵画(仏画)のことをチベット語でタンカと言います。13世紀から15世紀初頭まで中央チベットで用いられていた絵画様式は、インド・パーラ朝様式の伝統を受け継いだカトマンドゥ盆地のネワール職人たちによって導入されたネワール様式でした。このネワール様式画派のことをチベット語でペルディ(派)と呼びます。このネワール様式がチベット人自身の美意識の原型となり,その後に続くさまざまなチベット様式の基礎になったのです。ペルディ派の作品は背景が装飾的な渦巻き模様で埋め尽くされ、赤、緑、黄、青などの原色が使われる濃厚な色彩とエキゾチックな趣が特徴です。こうしたペルディ派の業績にはチベット美術史最高の傑作として名高いシガツェのパンコル仏塔の壁画群や同じくシガツェの西南にあるゴル僧院で描かれた一連の作品群などが上げられます。
純粋チベット様式と呼べる絵画様式は15世紀に出現した3人の天才画家よって開花します。しかし1950年代末から1960年代初頭の文化大革命によって各僧院に伝えられていたすばらしい壁画のほとんどが破壊されてしまいます。貴重な研究資料の散逸のため、今となっては特徴を確定することが極めて困難な絵画様式もいくつかあります。ここでは近代の研究やチベットに残る文献などを手がかりに15世紀に活躍した3人の天才絵師と彼らによって始められた3つのチベット様式の伝統、それを受け継ぐかたちで出来上がった2つの伝統様式を簡単に見ていきたいと思います。

メンリ派
銅色山
銅色山
1450年代に時期を同じくして活躍した数名の仏師たちの中でも最も偉大で後世に多大な影響を与えたのが1450年代から1470年代に活躍したメンリ派の祖、メンタンパ・メンラ・トゥンドゥップです。彼は中央チベットのロタク地方で生まれました。絵画の勉強のためにチベット中を渡り歩き、ある時自分が前世で描いた偉大な中国の作品に出会い、それが自分で描いたものだということを悟ります。それからは次々に中国風の作例が彼のインスピレーションから沸き起こり、背景に淡めの緑や青を使った中国風の自然描写を取り入れたメンリ派の伝統を確立しました。またメンラ・トゥンドゥップはサンバラウダヤとカーラチャクラの2つのタントラに基づき、仏を描く際のプロポーションの比率などを示した「尊像量度の善説、如意宝珠」と言う書物を著しました。このとき彼が決めた尊像の比率は「ティクツェー(線量)」と呼ばれ、現代まで受け継がれています。亡命チベット政府がおかれる北インドのダラムサラにおいて現在でも多くのチベット人絵師たちがメンリ派の伝統に従ってタンカ(仏画)を製作しています。
キェンリ派
もう一人傑出した才能で1450年代に活躍した絵師にキェンリ派を起こしたジャムヤン・キェンツェ・ワンモ(キェンツェ・チェンモ)がいます。キェンツェはラサの南、ロカ地方にあるサキャ派のコンカル僧院のすぐそばで生まれ、メンラ・トゥンドゥップと同じドパ・タシ・ギャルポの下で絵画を学んだとされます。寂静尊(穏やかな姿で描かれた仏)の表現が優れているメンラ・トゥンドゥップに対し、キェンツェの画風は荒々しい憤怒尊(恐ろしい姿で描かれた仏)の表現に優れているとダライ・ラマ5世はコメントしています。その言葉どおり清代のキェンツェ派の絵師によって描かれたポタラ宮にある憤怒の尊格ドゥッパ・カゲェーの一連の作品は迫力あるものです。しかし、17世紀の中央チベットにおけるサキャ派の衰退と伴にその庇護下にあったキェンリ派も力を失い、20世紀前半までには絵師キェンツェ・チェンモと彼の後継者たちのこの絵画様式は生きた伝統としての終焉を迎えてしまいます。
チェウ派
最後の一人は「他の偉大な画家」と呼ばれ、1420年代から1430年代に活躍したトゥルク・チェウです。彼は中央チベット南部に生まれ、優れた仏教美術作品を見るためならどこまでもさまよい歩く癖を持ち、そうした姿が木から木へ飛び移る鳥に似ているためチェウ(鳥)と呼ばれるようになったと言われています。彼の作風は当時まで大きな影響力を持っていたペルディ派(ネワール様式)を彼の才能によってより洗練させたものでした。ペルディ派の絵師たちによって描かれたシガツェのパンコル仏塔の無数の壁画のうちの何点かがチェウの作品であると言う説もありますがその生涯や作風など多くが謎に包まれています。
カルマ・ガルディ派
釈迦牟尼仏陀
釈迦牟尼仏陀
メンラ・トゥンドゥップの時代から約1世紀後、カルマ派8世ミキュー・ドルジェの生まれ変わりの一人とされた天才絵師ナムケー・タシ(1560年代から1590年代に活躍)によってカルマ・ガルディ派は確立されました。カルマ・カギュー派の高僧たちに珍重され、当時彼らの住まいがテントで形成された陣営であったため、カルマ(カルマ・カギュー派の)・ガル(テントの集まり)・ディ(画)派と呼ばれました。その様式はメンラ・トゥンドゥップによって創始されたメンリ派の中国的な様式美をさらに推し進めたもので、背景の淡彩画法への深い傾倒や衣の端の優美な流れなどの特徴が挙げられます。その後18世紀に現れたチュー・タシとカルマ・タシ2人のタシの活躍によってカルマ・ガルティ派は東チベットのカム地方で発展することになります。現在でもネパールのボダナートにあるシェチェン僧院のツェリン・アートスクールなどでこの派によるタンカ製作の伝統が伝えられています。
メンリ・サルマ派
中央チベットのツァン地方出身で新メンリ派を確立したチューイン・ギャツォ(1620年代から1665年に活躍)は、シガツェにあるタシルンポ僧院の僧侶であり、またパンチェンラマ1世ロプサン・チューギャルやダライ・ラマ5世の支援を受け多くの優れた作品を残した天才宮廷画家でした。新メンリ派の画風は15世紀に成立したメンリ派の伝統画法にチューイン・ギャツォの卓越したセンスで豪奢な部分的アレンジを加えたものでした。チューイン・ギャツォの作品のいくつかは彼の活動拠点であったタシルンポ僧院に今でも保存されています。

マンダラとは?

瞑想の道標となる極彩色の地図

十六羅漢曼荼羅
十六羅漢曼荼羅
マンダラとは何か?一言で説明するのは難しい質問です。いわゆる日本語の曼荼羅は”丸いもの“を意味する古代インド語の「マンダラ」の音訳です。またチベット語では「キンコル」と呼ばれ、これは”中心を回る、囲む”という意味でどちらもマンダラの造形と関係した意味を持っていることが分ります。
一般的にマンダラは密教の説く悟りの世界を図象化したものだと言われています。そしてそうした仏陀たちの住む清浄な世界が我々の住む世界からかけ離れたものでなく、本来は1つであることをマンダラは示そうとしています。
チベット仏教では我々の心がこの世界にあるすべてのものを造り出していると考えます。しかもその心は様々な囚われのためにくもった状態にあるといいます。そのくもりを取り除いた時に顕われてくるのが仏陀の悟りの世界であり、マンダラの世界であると考えるわけですが、重要なのは一時的なくもりを取り去る前も取り去った後も本質的な心そのもののあり方は変りがないと教えることです。
マンダラは仏陀の清らかな活動と我々の意識、感覚といった日常的な活動を同じものの2つの側面として表そうとします。
ダライ・ラマ14世が灌頂の儀礼を執り行う際に砂マンダラを製作することで有名なカーラチャクラのマンダラで、中央にいるカーラチャクラ尊は我々の根源的な心の本来の姿であると説きます。同様にそのまわりを囲む5人の仏陀は体や意識など我々を構成している5つの要素の、そのまわりにいる菩薩たちは視覚や味覚など我々の6つの感覚の本来あるべき姿であると説いています。カーラチャクラマンダラは我々のなにげない日常の活動がくもりを払えばそのまま清らかな仏陀の活動に他ならず、それは本来1つのものであることを示しているのです。
つまりマンダラは遠くにある美しい世界を描いた空想画などではなく、私たちの存在とともにある仏陀の悟りの世界を今ここに実現させる瞑想の道標となる極彩色の地図なのです。
もし我々もその気になれば、ただ眺めているだけでなく、美しく調和のとれたマンダラの世界を今、この場所で体験することも可能なのです。

なぜ恐ろしい姿をしているのか?

生き物に対する限りない慈しみ

チベットやネパールでは恐ろしい姿で描かれる仏や神々が多くいます。鬼のような形相、血がなみなみと湛えられた髑髏の器や黒光りする不気味な武器を持ち、生首でできた首飾りや鮮血の滴るヒトや動物の生皮を身に着けた仏たち。どうして彼らはこんな恐ろしい姿をしているのでしょう?
そうした恐ろしい姿の仏は古代インド語で「へールカ」、チベット語で「タクトゥン」と呼ばれます。日本語に訳すと両方とも”飲血“という意味ですが、彼らの心はそうした恐ろしい姿とは裏腹に苦悩する我々生き物に対する限りない慈しみで満たされているといいます。彼らは穏やかな姿で接したのでは仏教の教えに従わない粗暴なものためにあえてそうした恐ろしい姿をしているのだといいます。
また彼らが手にしている恐ろしい武器にもそれぞれ意味があります。チベット語で「ティグック」と呼ばれる曲刀は我々のエゴイスティックな考え方や自我を切断するためのものであり、「ダマル」と呼ばれるでんでん太鼓の音は私たちを誤った現実認識の眠りから目覚めさせるためのものだといいます。
このようにヘールカの仏たちの恐ろしい姿は我々の強固な無知を打ち砕き、苦しみの状態から一刻も早く救い出そうという深い“慈悲”の心の現われなのです。
恐ろしい姿をしたヘールカの仏たちもそう考えながら見てみると少し違ったものに見えてくるはずです。

なぜ抱き合っているのか?

大乗仏教が考える究極の真理

へーヴァジュラ
へーヴァジュラ
チベットやネパールでは男女の仏が抱き合った姿で描かれているものがあります。エロティックにさえみえるこうした姿はどういった意味を持っているのでしょうか?
男女の仏が抱き合った姿で描かれるこうしたモチーフはチベット語で「ヤブユム」(父母という意味)と呼ばれ、後期大乗仏教に属するチベット密教の考える真理が“空と慈悲”つまり男性原理と女性原理の統合によってもたらされるという思想を表したものです。
大乗仏教では変わることなく永続するものや本質は存在しないと考えます。
水を飲むためのグラスを例にとってみましょう。グラスは原料であるガラスと熱や職人の手という条件が“集まって”グラスとしての役割を始めます。そして何かの拍子で我々の手からすべり落ち、粉々のガラス片の“集まり”になった時点で水を飲むための道具、すなわちグラスとしての役割を終えます。
このように大乗仏教はすべてのものや出来事はただ関係性によってのみ成り立つもので、グラスというような変わらないものや本質は存在せず便宜的な名前と役割があるだけだと考えるのです。
こうした私たちが普段“ある”と考えているものや出来事の本質が“欠如”した状態のことを大乗仏教では「空」と呼びます。
もしものが不変や永続といった本質を持っていたとしたらどうでしょう?ものは滅びることがないので生まれることがなくなり、生まれることがないので存在そのものもなくなってしまいます。こうしたことからチベット仏教は不変という本質の“欠如”である「空」がすべてのものや現象を生み出す”母“であり究極の女性原理であると考えるのです。
また今の我々は誤った考え方から本質が”欠如”した「空」であるすべてのものや現象に意味や本質を見出そうと執着し苦しんでいる状態にあると仏教は教えます。そうしたすべての生き物たちの苦しみを取り除き、救い出そうとする「慈悲」の積極的な活動こそが究極的な男性原理であると大乗仏教は考えます。
男女の仏が抱き合っている「ヤブユム」はこの「空」と「慈悲」が分かちがたく結びつく大乗仏教が考える究極の真理の状態を表したものなのです。

参考文献

David Paul Jackson.小野田俊蔵・他訳.2006.『チベット絵画の歴史』.東京.平河出版社
田中公明・吉崎一美.1998.『ネパール仏教』.東京.春秋社